昨日書き忘れたこと。

2006年5月1日からちょうど50年前の1956年5月1日に、ついに水俣病の原因をチッソ側にあると国が公式確認した。

この話を取り上げた環境経済学では、損害賠償額と浄化コストを比較検討した。もし仮に、チッソが原因が自工場にあるとすぐに認めて、有機水銀を含んだ排水ラインを停止していたら、汚染された海水の浄化コストは約4億円。それに対して、水俣病患者への賠償総額は約1440億円。これをどう考えるか。

同じ話を法学部卒のトシさんに尋ねた。法学部は、この公害問題をある判例の一つとして捉えるだけだそうだ。

学ぶことをすでに役割分担されているのが分かるだろう。
今日の新聞でも取り上げられているように、後世に伝える役割を担うのがメディア。

授業では水俣病を訴える市民の一株運動が映像で流された。今の僕らへのメッセージであるのは事実である。今後の温暖化問題なども公害ともなれば政府も企業も早く対処しなければならない。
しかし、この映像を通じてひねくれたことを考えてしまった。
これはメディアに上手く操作されたのではないか、と。
もちろんこの公害は二度と再発されてはいけないモノであることは充分に理解しているし、現在も裁判で戦っている患者さんへの思いもある。
しかし、メディアで叩かれすぎているようにも思える。チッソがそんなにわるかったのだろうか。真実を認めることを拒み続けた社長の感情を、100%法律で裁くことは不可能であろう。それでもTVのお陰で完全に「非」になった。

メディアの効力と事象への役割を考えた1日となった。
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  by tkpsu | 2006-05-02 22:45 | @Japan

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